娘の成長

土曜日は

娘と食事ができる

幸せな時間。

夕食をとりながら

お互い、今週あった出来事を話す。

娘と私は、進む道が違うので

面白く聞くことができる。

学校のゼミで発表した内容を

細かく話してもらう。

いつも娘の話は面白い。

そして娘も

私の話を笑いながら聞いてくれる。

お互いがお互いを癒す時間だ。

そんな娘は将来弁護士になりたいという。

昔から

「私は最後までその人を諦めたりしたくないんや。」

という。

どんな人にも更生の余地があるから、と、人間の正しさを信じて疑わず、人生をまっすぐ進む娘。

そんな中、昔は私も、どんな悪も理由があって生まれてくるので根からの悪はない。と信じ生きてきたけど

しばらく生きてきた頃から

どのようにしても変わらぬものはあるし

どんなにまわりが伝えようとも、本人に変えたいという受け入れる気持ちがなければ、決して変わることができないと考えるようになり

それを娘に伝えると

「私は、最後の最後まで差し伸べてくる手があるんだったら、自分が巻き添えになっても、私は最後までその手を離したくないんや。」

という。

そんな風に語る娘を誇らしくも思うし

同時に

自分を犠牲にして世の中の不正義と戦おうとする娘を前に

私は娘にそこまでしてほしくないなぁとも思う。

私は

私の娘が大事なので

自分を犠牲にしようとしている娘を悲しく思う。

こんな記事を読んだ事がある。

戦時中、自宅が燃え、その燃えさかる炎の中に娘が巻き添えになって

「お母ちゃん、熱いよ。助けてよ。」

と言った現場にいたそのお母さんは

【あの時、燃えよる炎の中に自分が飛び込んでいくことができんかったんです。生きておる人間が自分から燃えよる炎の中に飛び込んでいくことはできんもんです。今でも、あの子のあの声が忘れられんのです。】

いう記事を読んだことがある。

衝撃的で

今でも私はあの記事を忘れられんの。

もし、私が同じ立場だったら

どうしたやろか。と思う。

私も同じように娘を燃えよる炎の中に残して

逃げるかもしれん。

それはどうなるか、その場にならんとわからんと思う。

人間やから。

ほんまに人間やから

何をするか、わからんもんだからです。

ただ、今の私は

燃えよる炎の中の娘と

最後まで一緒におってやりたいなぁと思う。

最後にさみしくないように

一緒におってやりたいなぁと思う。

その時、自分はどうなっても、

ただ、おってやりたいなぁと思う。

娘が

悲しくないように。

これから、自分を犠牲にして

世の中と戦う覚悟を

娘が決めたとしたら

私は

誇らしいのと同じぐらい

心が切り裂かれそうなほど

悲しくなる。

そんな道を選んだ娘を

止められんのかもしれんけれど

私は

私だけは

どんなことがあっても

あの子を守ってやりたいと思う。

もし、

燃えさかる炎の中に

娘と全く関係のない命があったとして

どちらか一人助けられるとしたら

私はどうするか。

それでも

私は結局

娘だけを助けることはせんと思う。

もし一人しか助けらんのやとしたら

私もその中に入って、

もう誰も助けんかもしれん。

この世の中の全ての命は平等で

その価値に高い低いはないけれど

自分を犠牲にしようとしておる娘を

せめて私だけでも守ってあげんかったら

誰があの子を守ってあげられるの。

私ぐらい

あの子を一番に助けてやりたいと思うけど

私はそれもできんのやろか。

答えはわからんまま、私も結局

子供の成長を見守ってやることしかできんのやと思います。

今日は

ハマチとアボガドとトマトやらきゅうりやらを

ごま油とお醤油とお砂糖、塩で和えて食べました。

お蕎麦は温かくして

ずるずる食べました。

また明日からも頑張ろう。

投稿者: 山本 美枝

香川県高松市を中心に活動する、ヨガ、ピラティスのインストラクターです。 エミーライフ株式会社 代表取締役/d.branch studio (ディー・ブランチ・スタジオ) 代表

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